昭和52年09月04日 特別奉修委員



 御道の教師の資格を取られた方です、まだ初代がおられる頃、昔から草野の池尻病院という病院で看護婦しょんなさいましてその時分、吉岡さんと申し上げとった、見たようなお方だと思よったらあちらに柳坂の方に縁ずかれて姓が変わっとられる。もうちょいと善かお方じゃったその看護婦さんがね、子供心に覚えています、私の弟かなんか入院した時に、丁度あちらのあれじゃった、吉岡さんと大坪さんという看護婦さんがおんなさったから良う記憶していた。
 昨日は午後から梅の実会でしたからもう終わりかけに正義さんが梅里先生を連れてきていただいてから庭を見て頂いた霊園の方を。それでちょっと顔出さにゃいかんと応接間でお茶あげよったからいかして頂いた。まぁ話しなさる事話しなさること芝居の話ばっかりで、今度前進座のなんか機関紙に自分の話したことが全部出とる、ですから今度どうでもこうでも読んで下さい、久留米市長が今度素人芝居をやるとの事が、なかなかあっちも詳しいですから結局庭の話はいっちょもせんで帰んなさった。
 私が「どげんしときましょうかの」と言ったら「否私に任しとかんの、」話はそれだけじゃった。思ったんですけどね、好きな事とかね好きな者同志とかというものは、その問題に触れなくても解決すると言う事ですよ。信心でも同じ事です、こりゃ私新聞配りしよる時分に床島と言う所があります、そこの店でこの店だけはどうしても西日本新聞を、その頃は福岡日々新聞ですが。
 どうしても取らんち、だから是非私に行ってくれと、それから新聞社の人と二人で行きました。もうガンとして取らん、それでこう見たら三味線がかかっとる「あらおばちゃん三味線弾きなさるの」というたら、「はー三味線が好きで、あんたも弾きなさるの」という訳ですたい、それからゴロゴロ三味線持ってきんしゃった、それから私が弾きだして一時ばかりして「やあー新聞配りさんで三味線の上手なのは始めてじゃった」。
 と言うて帰りがけに「来月から入れますけんのう」もう絶対新聞は取らんと言いよった人が。そんな事がありましたがね。信心も何か神様と交流すると、その事は願わんでも頼まんでも交流する様になると、おかげというものはもうちゃんといつの間にか、纏っているというもんですよね。昨日梅里先生の芝居の話を聞かせて頂きながら、それがあなた東京に招聘されて行かっしゃった。
 それがなんとかホテルが木更津にあったげな、木更津まで行ったそこであんた、ここは木更津じゃが源氏店に出てくるお富さんが居った所じゃが。今時お富さんはおらんのという話からじゃったですよ、それから芝居の話がずうとなって光橋先生の話になって、そしてからもう時間が経っけんごはんなっとと言ったら、忙しいから早く帰らにゃ、まあだもう一件用件があった風げな。
 そしてから「それは私に任して下さい」と言うた風で帰りなさったですが。本当に通い合うということは素晴らしいことですね、問題が問題でなくなってくるです、一つの問題をもうどうか我情我欲を出して雲よると、そうじゃないああじゃないと言いよるとそれだけで又一時間二時間解決せんことある事になってくる事になるですけどね、信心もそこまでいかんといけんです。
   どうぞ。